ありんこ’s diary

思いの丈をつらつらと

2021年1月12日 自己紹介①

こんばんは。

年が明けて書き始めたブログですが、いまのところ、私のたてた目標に対しては順調に書くことができている気がします。

更新が夜遅くなっちゃうことは、今後改善したい点です。

今日は過去の私のことについて少し書いてみることにします。

よくある小説の中の物語の主人公になった気持ちで書きます。

なってみたかったんですよね、主人公。

なんとなく華がありそうだし、響きかっこいいし、大抵はなんでもできちゃうハッピーエンドだし。

余談ですが、何年か前に聞いた言葉で、何で聞いたか忘れちゃったけど、ピース 又吉さんの、

「何者にもなれないけど、何者かになることを諦めていない男」として自分をコンテンツ化しようとしてたって凄くいいなって思ったのを、思い出しました。なんでその女版目指そうと思います。

人の過去についてってあまり聞かないし、面白いと思いませんか?私は興味あります。

色んな人の色んな話を聞いてみたいし、教えて欲しいです。

ひとまず私の過去についてつらつら書くので、お暇だったらお付き合い下さい。

ざっと過去のことを話しますが、性格はのめり込むととことんやらなきゃ気が済まない、負けず嫌いなタイプだった気がします。今もそうかもしれません。笑

その前提で読み進めて下さい。

 

幼稚園の時は水泳、ダンスをやってました。

小学生になってちょっとして、ダンス飽きたかなくらいで、少年野球を始めました。兄の影響です。

4.5年くらいやってたのかな。ちなみに右投げ左打ちです。父に左の方が一塁まで早く走れるぞって言われてその気になり、最初から左で打つ練習しました。癖もないので、スイングは数こなして素振りしているうちに身体が覚えてくれました。子供の吸収力って凄いですね。

野球をやることで、チーム競技について色々学んだかもしれません。

自分が調子悪くても、カバーしてくれて勝てることもあれば、その逆もある歯痒さと、上手くいかないもどかしさとちょっと複雑な色々な感情を学びました。まぁその頃たくさん本読んだし、その影響もあるかもしれませんが。

試合に勝ったら今までの辛い練習のこと全部忘れちゃうくらい嬉しいし、負けたらとにかく悔しいってことも学びました。基本中の基本ですね。

勝つためには、アウトを重ねる。負けないためには点を取る。シンプルだけど、そのためにはなにが必要か、監督や色んな家族のお父さんコーチ達に毎週毎週教えて貰ってました。

最初は遊びの延長くらいの感じでしたが、真剣勝負の楽しさも教えてもらいました。

練習すれば少しずつではあるものの、できなかったことができるようになって、それが楽しくて色々遊びながら試したりしてました。

中学生になってからは体格差を感じたため、野球は諦めてハンドボール部に所属しました。

まぁまぁ肩は強い方だし、使えるものは使っておこうくらいの気持ちで選んだハンドボール部でしたが、気づけばただひたすらに部活に打ち込む生活でした。

今考えれば、中学1年生の時の顧問の先生の指導の下、関東・全国大会に行くのが当たり前という、「普通」のレベルが高い環境に身を置けたことが、いまの私に繋がっているんじゃないかなと思います。

補修や再テストになって、部活の練習に遅れないように勉強もとにかく必死にやって、帰ったら録画してた試合見ての毎日。月に一度しかない委員会活動会議や、学級委員会議でさえも練習行けなくなるからってなるべく仕事少なそうなもの選んだりしてました。常にハンドボール中心に考えてて、競技に取り憑かれてましたね。笑

先輩達が関東大会で戦っていた姿や、JOCチームで色んな県の上手な子たちと試合させてもらったことで、もっともっと上手になりたいと思うようになりました。

1.2年生ながらもちょこちょこ試合に出してもらいつつ、やっときた自分たちの代の総体では、準決勝直前に捻挫して自滅。

ほとんど怪我したことなかったのに、最後の最後の大事な試合の前に怪我するなんて、つくづくついてないなぁと失望したのを覚えています。

たまたまチームメイトの幼なじみのお父さんがお医者様で、たまたま試合を見にきてくれていて、テーピングを巻いて無理矢理試合に出ました。(どちらかというと顧問に出させられた?時効だと思うので愚痴らせて下さい笑)

やめておけばいいのに、結果的に全治3ヶ月の大怪我お化け捻挫に成長してしまいやがりました。

今も足首ぐらぐらです。

それでも試合後に先生に声をかけて頂いて、高校ではもっとレベル高いところで、もっとハンドボールをやりたいと昭和学院に進学を決めました。部員数も多いし、学校綺麗だし、なにより毎日体育館でハンドボールできる環境の良さが魅力でした。

走って、跳んで、ぶつかって、投げて、とにかく辛い練習なのはやる前からわかってるし、同じ学生の3年間捧げるって思ったら、少しでも長くハンドボールできて、勝ちあがれる可能性の高い環境ってお得かもって思っちゃっいました。

幸いな事に捻挫した試合が引退試合になったわけではなく、JOCで関東大会突破、進路も決まったので、12月までハンドボールできて、全国大会まで行けたのでまぁ良かったのかなって思ってます。

大会前の週末や夏休みなどに行う昭和学院の高校生との練習は、体大きいし、あたり強いし、容赦ないし、とにかく恐怖でした。

それでも勝ちたかったし、結果残したかったし、行ってよかったです。今でも仲良くしてくださる素敵な先輩にも出会えましたし。

関東大会・全国大会・国体とか実業団の方や大学生との練習なんかもそうそう経験できるものじゃないので、貴重な時間を過ごさせて頂いたし、経験値積んだなって思います。 

強いとこでハンドやろって誘ってくれた同期にも、指導してくださった先生にも、理不尽なこともあったけどたくさん怒ってくれた先輩にも、心から感謝しています。

高校生の時はありがたみが全くわからず、私の方がもっと点取れるとか、もっとできるとか根拠はないけど、生意気にも思ったり、早く先輩が引退してくれないかなって思ってました。(試合に出たいが故だったので、許してください。)

青春したなぁって思ってます。

もっと女の子らしい趣味とか、女子力とか磨いといたらよかったかなって思うこともたまにあります。

あるけど私の個人的な価値観でいうと、化粧してお洒落して、友達とカラオケ行ったり、ご飯行ったり、遊んだりする放課後よりも、死ぬ程走って、本気でぶつかって、先輩や先生にしごかれる毎日の方が何倍も価値あると思います。

学生終わった今だから気付けたことですけど、ぶっちゃけ遊ぶのは今からでもできるし。

なにかに打ち込むのが私の性に合ってた気もしますしね。

泊まりの遠征とか、合宿とか毎回何かが起こってたし、話のネタはありすぎるくらいあると思います。悔しい思いした試合のことも忘れないけど、くだらない話もちゃんとたくさん覚えてます。

泊まったホテルの部屋で上裸で3点倒立して爆笑してたとか、お風呂でハナミズキ歌ってたら顧問に全部聞かれてて後で呼び出されたりとか、嫌いな食べ物こっそり団結して、遠い席の部員まで回して分担して食べたりとか。

本当にくだらないけど、それも部活やってきた中での貴重な思い出だったりします。

もちろん遊んだり、バイトしてたり、羨ましく思うことはあったけど、高校の時は幸いなことに周囲には部活命のスポーツ馬鹿達ばっかりいてくれたので、負けたくなくて頑張れました。

目線が高くて、目標に向かって努力するのは当たり前で、スポーツすることにおいて最高な環境だったと思います。

ざーっと振り返りましたが、中高はこんな感じでした。大学で知り合った人とか友達とかちょっと驚いてくれてるかなって思います。俗に言う部活ガチ勢だったんですよ。誇りに思ってますけどね。

ほんと書き足りないくらい色々あったけど、過去の話なので、これくらいにします。

そんなやつが大学生はなにしてたのよって話を次回書こうと思います。

つづく。

 

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