ありんこ’s diary

思いの丈をつらつらと

2022年11月10日 賞味期限

 

賞味期限って意外と短い。

 

もちろん食材や加工によって1ヶ月以内だったり、3年以上持つものもある。

比較的日持ちする加工品でも、気づけば賞味期限が過ぎていたりする。

 

スポーツ選手たちの賞味期限≒選手生命も似たようなものだと思う。

 

気づくと新人王をとった選手がベテランに成長していたり、時代を司る一世を風靡した選手が引退してレジェンドとして崇められていたり、気付かないうちにあっという間に消費されている。

 

輝く舞台があって、チャンスをものにできる人なんてほんのひと握り。

 

ある程度の共通理解があって、一定の評価が得られる舞台が備わっている環境に身を置くことが、どれだけ恵まれていることかと最近ふと考える。

 

努力は報わないことの方が多い。

 

結果が伴わないこともあるし、人知れず行ってきた努力を、披露する場もなく道半ばで諦めてしまう人も多いのだろう。

 

努力ってなんだろう。

求めている・求められている結果を出すこと?導いた結果によって他人に認められること?それともただの自己満足?

他人に認められるために私たちは努力をしているのか?

 

努力の評価基準はなんだろう。

 

主観的に見ると、もちろん全ての努力の過程を知っている。

客観的に見ると、その時の結果が全て。

結果を出せなかった人でも、努力の過程をアピールすることができる人、比較的世間で声の大きい人に見染められた人だけが評価される。

 

なんのために私達は努力するのか。

夢を叶えるため?賞味期限を延ばすため?

 

私達はきっと、喋ることのできる、世界に一つの、希少価値の高い商品。

梱包方法も自ら決めることができるし、パッケージの売り文句、フォントまで選べてしまう。

世界中にある様々なジャンルのものから消費者に選んでもらうには、個人の力だけでは少しマイナーで力不足と言えるかもしれない。

他の商品とは違うインパクトのある色だったり、強烈な匂いだったり、消費者になにか強い違和感を与えることが手にとってもらう近道な気がする。

 

知りたいという探究心を掻き立てる、衝動を与える力が私達商品にあるのか、日々模索しなければいけないのだと思う。

 

一度決められた賞味期限は、延長できない。

棚の奥に眠っていて廃棄処分にされる前に、手にとってもらうことが私たちにとって最も大切なことなのかも知れない。

 

輝く舞台がないなら自分たちが1番いい状態で売り出されるレイアウトを作って、周りの人を引き寄せて巻き込んで離さない、魅惑のマーケットを作らなければならない。

 

あと足りないのは、主体性と覚悟だけ。

やり方は手探りでもきっと見つかる。

 

 

賞味期限切れまでに上手いこと調理しなければ。